3.11の震災から変わったこと(2019/3/12)
JD神谷です☆
昨日は東日本大震災のニュースが多かったですね。
もう8年経つのかぁと感慨深いものがありますが、
僕自身はこの震災がきっかけになって、働き方や生活を変えてきました。
・震災当時に思ったこと、
・8年して思ったこと
をまとめてみました。
↓↓↓
①当時思ったこと
■電気が消える地域と、消えない地域があった。
・あれほどの規模の災害が起きたときに、電力や復旧資源が医療などの重要な施設や政府機関に振り分けられるのは、とても合理的な方法です。医療の分野では「トリアージ(triage)」とよばれます。
・頭の中では、合理的な行為をわかっていたものの、いざ、自身が電気を止められる側になったときに、「住んでいる地域で自分の価値を測られるのは嫌だなぁ」と思いましたし、住んでいる場所が、自分のステータスなんだとも思うようになりました。
■危険でも会社に行かなければならない
・3.11の発生したのは金曜日だったので、次に出社したのは3.14の月曜日でした。まだ電車は動いていませんでしたが、なんとか歩いて会社まで行きました。
・「いい大学、いい会社で人生は安定」と聞いて育ってきました。放射能が降ろうが、地面が割れていようが、「会社に決まった時間に行かなければならない」と考えてたときに、「別に会社に行けば安心で安定じゃないな」と思いました。
仮に危険地帯での労働だったとしても、持ち場を離れて良いかどうかの権限は会社員にはありません。
■地域を離れられない人がいた
・テレビで「地元を離れたくない」という人が多く紹介されていました。福島の原発の問題や津波の瓦礫の問題で住めない状態にも関わらずです。
・地元愛とか先祖の土地というのは大事なんだろうけども、場所依存や市場がせまいこと、一つしか収入源がないことはリスク(災害による被害からリカバリが遅くなる)と感じるようになりました。
数年後、熊本の地震のときに当時つとめていた会社の工場が被災、タイの工場は水没で被災し、拠点を集中させることは、災害をもろにうけるリスクがあることを何度も感じました。
■正確な情報が命
・空いてないガソリンスタンドに長蛇の列が2、3kmよくできていました。当時は今のようにスマートフォンはそれほど発達していなかったので、こういう意味不明なことがよくおきていました。
・何が本当に情報なのか?をよく考えるようになりました。なんか『「みんなが並んでいるから、一緒に並べば恩恵に与れる」なんて思っていないか?』とよく考えます。
②8年経って変わったこと、変えたこと
■時間、場所、会社に依存しない働き方になった
・会社をやめ、フリーランスになったことにより、働く時間、働く場所は選べるようになりました。仮に次の震災で関東がダメになれば、関西に行けば良いわけです。
会社員を続けていたら、地方に家をローンで買ったりしてより生活圏が固定され動けなくなったと思います。
■収入があがり、電気が止まらなかった地域に住める
働き方を変えてことにより、収入面もかなり改善しました。現在は電気が止まらなかった地域に住んでいます。電気が止まらなかった地域は概ね、家賃が高いエリアだったので、自身の安全を確保するには収入を上げる必要がありました。
収入を上げる(時給を上げる)ことはもっと効果的な安全策です。時給を上げるということは、自身の仕事のクオリティを上げるということです。この8年間で意識してきたことはこれです。
ちなみに、固定電話や固定モデム、洗濯機、冷蔵庫などの家電、大きいテレビは持っていません。
まとめ
3.11は未曾有の大災害で、復旧はまだまだかもしれません。3.11は僕にとっては、天地がひっくり返るような大きなきっかけになったできごとです。なかなかこれほどの体験はないかもしれませんが、経験を生かしてよりよく進化していければなと思います。
JD神谷